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〜酒井抱一 秋草〜 おさらい編③☆

更新日:2022年8月6日

こんにちは☆

いよいよ7月も終わりに近づいてきました。


夏生まれの私にとって、毎年夏は、思い入れ深いものになります☆


去年は仕事でやりたいことが出来、今年はワークショップという形で夢が叶いました!!


年々、一歩一歩を大切にしていきたいと思います😊


さて、今日は酒井抱一が惚れに惚れた、心の師、尾形光琳について

書いておきたいと思います。


最愛の兄を亡くし、松平定信の寛政異学の禁等の統制で、美人画も書きづらくなり、公私共々居場所を無くしていた30代半ばの抱一。


そこに新たな道へ導かれるような出逢いがありました。


酒井家に残されていた尾形光琳の絵です★


では、尾形光琳とは、どのような人だったのでしょうか・・?

以前、気になったので調べてみましたので書きます↓↓↓


尾形光琳は、酒井抱一が生まれる100年位前に、京都の呉服商の家に生まれました。


とても繁盛していた呉服屋だったそうで、一時期は東福門院和子様(後水尾天皇の正室/徳川家康の孫)の御用達をしていたことで有名です。


尾形光琳は、小さい頃から、能や書、絵を嗜み、当時からずば抜けた才能があって、周囲を驚かせたそうです。


でも、成年になっても、絵師として本職にすることはなく、のらりくらり公家のサロンで舞を舞ったり、女性遍歴を繰り返す日々を送っていたそうです。


父がなくなり、膨大な遺産を相続しましたが、浪費癖があって、使い果たし、多くの借金を抱えるようになります。


(大丈夫でしょうか・・人間味がありますね・・・・笑)


弟の乾山に戒められたこともあり、40歳でようやく絵師として

立つことを決心したそうです☆


(遅いですね・・・またまた人間味がありますね・・・笑)



その頃描いた絵が、こちら国宝の燕子花図屏風です★







                                 ~つづく~



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​一般社団法人 松山陣屋顕彰会

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